当然何も起こらない
人間界に散逸した文献を入手するために霊文は裴茗を伴なってとある街にやって来ていた。
「……なぜあなたと一緒なのか」
「それはこっちの台詞だ」
危険が生じるような仕事ではないため文神の霊文一人で赴いても十分だと思われたが、明光殿の威光の強い地域であるため何かと便利だろうと差配されたようだ。お互いに文句を言いながらもそれなりに長い付き合いの仲である。大きな問題に見舞われることもなく、数日に渡る仕事を淡々とこなしていったのだった。
「すみません、あいにく今日はお客が多くて一部屋しかご用意できず……」
「あー……」
宿の番頭に申し訳なさそうに言われ、裴茗は横目で霊文を伺う。面倒事が多いので仕事中は男相の霊文だったが、一晩を同室で、というのはさすがの霊文も気にするかもしれない。しかし裴茗の懸念をよそに、霊文は即答した。
「では一部屋で構いません」
「いいのか?」
「別に問題ないでしょう。あなたはあるのですか?」
「俺は……まあ、ないな」
そういうことになった。
男と同室など死んでも御免であり、逆に裴茗好みのご婦人であればこれ幸いとばかりに喜んで見せるところだが、相手が霊文であれば良くも悪くもどうでもいい。霊文が気にするのであれば適当に部屋を出ていってやるつもりだった。その程度の気遣いはできる。
幸いにも二つあった寝台にそれぞれ腰掛けながら裴茗は言った。
「女相に戻っても構わないぞ。いや、他意はない」
「……」
「男相を保つにはそれなりに力が必要だと聞いた」
「そうですね。それではお言葉に甘えて」
裴茗としては女相の霊文にどうこうというつもりは全くなかったが念のため他意のないことを伝えると、霊文もあっさりと女相に戻った。親しみやすい性格とは言えないかもしれないが、こういうところは霊文の付き合いやすいところだと裴茗は思う。
しかし裴茗が寝そべっていると霊文は女相に戻るだけでなく、そのまま髪をほどいて上衣を脱ぎ始めたので裴茗の方が慌てることとなった。
「おい、言ってくれればさすがに後ろを向いてることのくらいはしてやるぞ」
「……別に今さら私とあなたの仲でしょう」
「君にそう言われてもあまりぞっとしないが、まあ、見ててもいいなら遠慮なく」
「そういえば将軍の恋人のみなさんには少し悪いことをしているのかもしれないですね?」
「やきもちは焼かれるうちが華さ。妬いているところを宥めて可愛がってやるのが男の甲斐性というものだ」
「ならいいのですが」
「傑卿にそういう相手はいないのか」
「………」
「いるのか!?」
裴茗が尋ねてもそれには答えず、霊文は下衣姿になると自分も寝台に横になった。
裴茗の微妙な表情に気付いた霊文が尋ねた。
「何か?」
「いや、初めてこんな気持ちで女が服を脱ぐところを見たなと思って」
「どんな気持ちで?」
「無」
裴茗が答えると、霊文は一笑した。
そのあとはとくに会話らしい会話はなく、普通に寝て普通に起きた。
しばらくのちに中秋の宴での劇で酒を吹き出すことになる二人だが、世の人の想像力の斜め上をいく男女関係があるものだ、というのが当時の道中の土産話を聞かされた師無渡の感想であった。
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