「黙読」と「朗読者」と費渡
8話で更新停止になった時は、まさかWOWOWで世界初最終話まで放送されることになるとは思ってもみませんでした。
タイトルが指すものについて、あんまり大層な話はしていないですが、折りたたんでストーリー後半のネタバレになってます。
ドラマ完走した人にはそこまでネタバレではないかも?
タイトルの「黙読」は費渡(のしていること)を指していて、主人公たちの敵となる存在が「朗読者」を名乗っている対になってるってことだと理解しています。
ちなみに「朗読者」もドイツの文学作品なんですが、私は読んだことがないのでなぜ「朗読者」を名乗ってるかまではわかってないです。(本編に書いてあるのに見落としてるだけだったらすいません)そういえばドラマは朗読者じゃなくて粛清者でしたね。
そしてなぜ費渡と朗読者が対になっているかというと、相反する存在でありながらやってることがすごくよく似てるってことだと思います。
悲しい事件の被害者やその身内(そしてとても弱い立場の人々)の感情を利用して、自分の計画の協力者にさせるのです。
ドラマだと費渡がやってたことの描写部分はちょっと控えめになってたかなーと思いますが、費渡の「我的人」になるか、朗読者の手先になるかは、本人の心根も無関係とは言えないけど、本当にちょっとしたきっかけやタイミングの違いでしかないような気もしています。そして目的もやってることも危ういくらい似ている……と私は読みながら思っていました。
じゃあ費渡と朗読者の違いは何か?費渡がやっていることは正義で朗読者がやっているのは犯罪である、と言い切ってしまうのもけっこう危ないと思っていて(実際費渡がやっていることもかなりグレーなとこがある)、ここまで書いて結論を書くのにめちゃくちゃ悩んでいるので日本語訳でこれから読めるところを読み直しながらまた考えたいな~と思った次第です。
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