「大哥」と「活着(活きる)」
以笑的方式哭,在死亡的伴随下活着——余华《活着》。(泣きながら笑い、死の傍にありながら生き続ける——余華《活着》。)
ラジドラ前期のテーマ曲のタイトルも「活着」で、とても大好きな曲です。
私はpriest先生が作中で引用した作品をたまに読んでいて、二都物語(残次品の文案)や赤と黒(黙読の第一部)がすごく面白かったので、「活着」も読んでみたいな、頑張れば読めるかな?などと思っていたところ、普通に日本語訳があったのでした。
ていうか活着を原作にしたチャン・イーモウ監督の映画「活きる」が普通に有名だったらしくて自分が無知なのでした。
読み終わった感想なんですが、本当に本当に読んでよかったです。月並みな言い方ですが途中からページをめくる手が止まらなくて気付いたら一気に読み終わっていました。
そして何故「大哥」の冒頭で「活着」が引用されていたのかはうまく説明できないけど……わかる……!!となりました。両方読んだ人に聞きたいんですが、これ、感覚的に「わかり」ますよね!!??
元々大哥のテーマとして死(や老いや病気や事故)と隣り合わせで生きていくことというのがあると思っているのですが(本編ラストも「死」にまつわる引用ですよね)、活着は大哥以上に死と隣り合わせ過ぎる。大哥に出てくる死や別れもまあまあ理不尽なのですが、理不尽さは活着の方がすごくて「そんなことある!!??」って二回くらい叫びました。
あと活着の前書きに余華氏が読者になぜタイトルは生き延びるではなく生き続けるなのですか?と尋ねられた話が出てきて、それを読んで、ああ大哥も生き延びるというより生き続ける話だよな~とも思ったのでした。まあpriest先生はそこまで考えてなくてたまたまその時読んでた本だからとか言いそうですが……(黙読のインタビュー)
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