priest先生のインタビュー記事紹介②~默读・有匪・大哥・无汚染、无公害~
フォロワーさんが前に教えてくれた(ツイート①・ツイート②)、北京大学ネット文学研究家によるpriest先生のインタビュー記事紹介です。
インタビュー①「对话Priest(之一):人类的每一次超脱本性都是高光和奇迹」
https://weibo.com/ttarticle/x/m/show/id/2309404458874835959846
インタビュー②「对话Priest(之二):出入科幻、武侠、女性成长题材,日常之下是个体隐秘突围与超越 」
https://mp.weixin.qq.com/s/V55ox09zhmw4Q917EWIsrw
この記事はインタビューを全文訳すとかそういうものではなく、インタビューをかいつまんで紹介しつつpriest作品の話をする記事です。
翻訳機使いつつ自力訳なので間違いあったらすいません。
あとこのブログではあんまり致命的なネタバレはないように引用してますが、インタビュー②はわりと黙読の核心的なところが書かれてるのでネタバレ避けたい人は全文読む時は気を付けた方がいいかもです。
インタビュー②では默读・有匪・大哥・无汚染、无公害の話をしています。ちょっとだけ六爻の話も。
※黙読は2023年9月現在、日本語版が絶賛連載配信中です!
※有匪はドラマ版の有翡が日本でも配信中です。
邵燕君(インタビュアー):「(前略)(『黙読』は)「赤と黒」、「ロリータ」、「マクベス」、「モンテクリスト伯」、「悪霊」の主人公を章名にした五つの連続した物語で、五つの典型的な人物の性格が犯罪者の心理的な動機となっています――これはまるで名作をキャラクターとして使っているようです。どのように構想されたのですか?」
Priest:「ああこれは……これは実は偶然です。 最初の話の容疑者は典型的なジュリアン(赤と黒の主人公)のような人物でしょう。私の手元にちょうど「赤と黒」があって、章の名前はあっさりと「ジュリアン」となりました。その後はずっとこの方式が続いたというわけです。」
まずは黙読の話です。
この、とくに深い意図があるわけではなくなんとなく・偶然の産物でこんな作品ができてしまったんですよ~というスタンスがすごいpriest先生っぽいですよね。初めてpriest先生の作品のまえがきとかあとがき的なものを読んだのが殺破狼だったのですが、作品の話じゃなくてこういう話するんだ笑!となったのをよく覚えてます。大哥のあとがきとかもそんな感じでしたね。(好きですが……)
李皓颖(インタビュアー):「(前略) 創作の中で、特に人物の成長における家族の役割に注目しているのはなぜですか?」
Priest:「実際には主人公の生い立ちや養育者を書いたネット小説は結構多いと思います。非天夜翔『与时光擦肩而过』での再婚したシングルファーザーや、巫哲『撒野』で怒る力を失った製鉄所の街で昔から暮らしている人々など。家族関係は元々人物の性格に大きな影響を与えます。遺伝と環境の共同作用ですよね。人物の経緯を説明するために両親の話を書いたのです。経緯がはっきりしていないと、物語を書き続けるのは難しいです。」
この前段に費渡の生い立ちの話があり、なぜ家族の話を書くのですか?という質問です。ただpriest先生の回答としては、別に家族の話が書かれる作品はよくあるもので、そんなに特別なことじゃないですよということなのかなと思いました。まあ確かにあるキャラクターの性格なり生い立ちなりを掘り下げようと思ったら家族の話になるのはそんなに不思議な話ではないですよね。
あとこの回答は、priest先生って非天夜翔先生とか巫哲先生の作品読んでるんだなー!と思ったのでした。撒野とか巫哲先生の作品も、実はpriest先生が読んでるって言ってたのでいつか読みたいと思ってたのです。ちなみに撒野は「君と掴む光。」というタイトルで日本語訳されてます!そういえば非天夜翔先生の『与时光擦肩而过』ってどこで読めるんですか?鎖になってるのも含めてjjで見当たらなかったので気になって……。
邵燕君:「(前略)『黙読』は本当に欠点が見当たらず、最後にとても上品だとしか言えません。ご自分で満足していないところはどこかありますか?」
Priest:「(前略)『黙読』の最も深刻な問題は、後半のリズムが乱れて、無理に丸めようとしたので「餡」ははみ出ていないけれど、麺がベタベタし過ぎていて食感に影響するような状態です。 あと、重要な脇役に「道具のようなキャラクター」が多すぎて、郎喬、肖海洋、陸局、張東来などは以前の別作品で似たようなキャラクターがいました。体を変えて出演してもらったようなものです。むしろ、悪役と猫は面白く書けたと思います。」
邵燕君:「Priest先生は相変わらず謙虚で、先生が先生自身の最大の「アンチファン」のようですね。 ただ、後半の「道具のようなキャラクター」が多過ぎる点は確かに理にかなっていて、当初指摘できなかったのが残念です。」
相変わらず自作品に厳しいpriest先生!黙読はめっちゃ登場人物多いですからね。
郎喬っぽいキャラはいっぱい心当たりあるのですが(顧湘、小宝)、肖海洋とか陸局とか張東来は誰になるんだろう?ていうか陸局っぽいキャラの話したらネタバレになりませんか?いや、こういう書き方すると陸局が……ムニャ……。
高寒凝(インタビュアー):「(前略)(『有匪』は)大陸の新武侠の女性作者たちの作品とは異なり、主人公の恋愛を叙事詩の核心的な原動力としていません。この創作の方向は意図的なものですか?周翡がしばしば刀法の殻を破り、目の前の霧を断ち切るというストーリーと結び付けて、その中に含まれている功法修練による自己向上と主体的な構築の考え方は、修仙小説の影響を受けているんでしょうか?もう一つの修仙を題材とした小説「六爻」の男性主人公と周翡との間に創作上の親戚関係はありますか?
Priest:「『六爻』と『有匪』はあまり関係がありません。『六爻』の主人公・程潜と周翡の人物の核心は相反しています。(中略)周翡は程潜の「対義語」で、彼女は何も欠けていなければ、愛にも欠けていません。反抗期の母親との関係は普通で、面と向かって叫ぶのも、李晟たち兄妹に対する大当主(周翡の母親)のひいきをすぐに許すのも、無意識のうちに自分が母親に大切にされていると理解していることを示していて、どんなに遠くに行っても、どんな相手に直面しても、心の中に意欲があります。」
次は有匪の話です。周翡のキャラクターに対する解説を読んで、そうだなあと思う反面、その「対義語」って言われてる程潜くん!!!!大師兄に大事にしてもらってな!!!という気持ちになりますね!!
有匪はほんとにラブロマンス成分はかなり薄くて、ヒロインが己の刀法を極めていくのが一番のメインストーリーになるのですが、でもハンサムな彼女と真のヒロインの謝允(三公主笑!)普通にmoeなので有匪興味あったらよろしくお願いします。ドラマはエピソードはわりと原作通りかなという感じしますが(まだ19話までしか見てないけど)ラブロマンス成分はちょっと盛られてますね。
Priest:「『大哥』は比較的初期の作品で、その頃は私は恋愛とはベタベタしていて全然クールではないと思っていて、書くのが好きではなく、もちろん書くこともできませんでした。文中の恋愛のストーリーはとても硬いです。恋愛の部分はほとんど自分が地の文で述べていて、「この二人は付き合いました。私はそれを承認しました」と読者に知らせるような形です。(中略)後になって、人物関係は物語全体の中で重要な一環だと思うようになりました。(中略)恋愛描写は、他人から見て意味のないくだらない話を二人でするだけでなく、プリズムのような関係で、その人の過去と未来を屈折させ、その人が直面している様々な人生の中の重要な問題に、親密な関係が反応するのです。」
その次は大哥の話です。「この二人は付き合いました。私はそれを承認しました」はすごい笑ってしまいました。確かにそういうところはあるかもです笑。別にpriest先生心理描写書けてないことないよなーと思ってたんですが、(比較するわけじゃないのですが)木苏里作品読んだらこれか!!!とわかりました。確かにああいうのはあんまりpriest先生書かないもんね。
大哥もまた恋愛描写が薄めの作品で、主題は主人公の奮闘や家族・周囲の人間との共生関係だと思うのですがpriest先生にとって恋愛描写って何ですか?という質問ですね。恋愛描写抜きでも成立するって言われちゃうのはわかるのですが、でも私は……魏謙と小遠のカップリングが本当に好きで……とくに私は魏謙のことをめちゃくちゃエロいと思っていて……。それにやっぱり魏謙がラストで辿り着いた選択ってやっぱり小遠との関係があったからこそじゃないかと思っていて、でもまあ恋愛部分以外でいっぱい色々起こり過ぎるのも本当……。
李皓颖:「(前略)昨年連載された「無汚染、無公害」で、物語の最後に喩蘭川(主人公)は放浪することを選びましたが、似たような状況にある多くの「社畜」にとっては期待できない答えだと思います。この結末をどう思いますか?」
Priest:「「無汚染、無公害」に、最後に家を売ることを奨励する意味はありません。私は同じ様に「社畜」が「期待できない」答えだとは思いません。喩蘭川は間違っていると思うかもしれません。例えば、こんなのは無責任で非現実的だから、あなたは自分の判断に基づいて、自分は彼のようになりたくないと思います。これは何もおかしいことはありません。しかし、この選択を「許されない」と言うのはあまり適切ではありません。多くのことを私たちはトレードオフで判断していて、あることについて選択をしなくてもいいですが、でも私たちはその選択をする自由がありますよね?喩蘭川は先祖代々放浪する遺伝子を持っていて、本人は束縛されている放浪人で、心の中はずっと現実的ではないです。彼に与えられたすべての規則と枠は彼が自発的に身につけたもので、もちろんいつでも外して捨てることができるのです。」
みんな大好き蘭爺の話!このpriest先生の回答を読んで、あ~~~「社畜」が蘭爺の本質ではないってことか!!と目から鱗でした。そしてラストの蘭爺の選択も、現実の「社畜」たちにとっては様々な理由で非現実的だと思われるかもしれないけど、決して許されない選択ではなく、蘭爺の色んなものとのトレードオフで放浪をして〇〇と〇〇〇することを選んだ。そして私たちは誰でもその「選択」ができる、というこれもpriest先生らしい考え方だなあと思いました。もちろん現実には色んな制約があることを先生もわかってないわけではないと思うんですが、priest作品ってけっこう強者の話だなと思うので。
邵燕君:「今までで一番満足している作品はどれですか? 書いた人物の中では誰が一番好きですか?」
Priest:「どれにも満足していません。満足するのは面白くないです。面白くなかったらとっくにキーボードを捨てて書くのを止めます。(中略)一番を選ばなければならないなら顧昀ですよね。他のキャラクターは大体書き終わったらそれで終わりですが、「殺破狼」を書いた後、一度似たキャラクター、似たカップリングを書きたくなってしまい、全力で我慢しました。(その後、ラジドラに誘われて番外を追加してしまいました。)」
ここで義父の名前が挙がるのほんと嬉しいです。改めて先生の口から言われるとやっぱり義父のこと好きなんだな~~と思うのでした。そして似たようなキャラとか似たようなカプを書きたくなること先生でもあるんだなと思いました。先生は一回書き終わったらそれで終わりなのはマジでそうなので、しゃぽラジドラサンキューという気持ちです。中秋番外のことかな?と思います。
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