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沈九と呼ばないで


本編ラストあたりを読んでて思ったこと。






ラストで岳清源と話してるシーンあるじゃないですか。あの場面で、それでもまだ師尊のことを小九と呼ぼうとする岳清源が切なくてウワーーーとなるんですが、その後の師尊の描写がめちゃくちゃ好きなんですよ。
「師兄、私は清秋です」ときっぱり言い渡したあとの文で、狂傲仙魔途のあらゆるストーリーラインに抗ってきた沈清秋だがこの時ばかりはそれに反して自分が沈九であれば良いのにと思った……ていうのが沈垣のいいところが詰まっていて……!
心魔剣に蝕まれた冰河のもとへ行く直前にも岳清源に七哥と呼んでくれないかと言われて、自分は沈九ではないから(そして死亡フラグ過ぎるから)呼ばないって断った師尊なんですよ。自分は沈九ではないということをやんわり伝えるのが師尊の誠実さだと思ってて、それでも「蒼穹山はいつでも帰ってきていい場所だ」って言ってくれる人の良い岳清源が、沈九に対してすごく切実なのがわかるからこの時だけは自分が沈九で岳清源の言葉が伝わればいいのにって思っちゃうというね〜!
岳清源の真心を、完全に部外者の現代人の沈垣だけが知っているというこの…やるせなさ……!


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