長庚と顧昀、それぞれの父親たちについて
(前置き)
私は長庚の父親問題について、確かに秀娘の子供だという疑念もあるし長庚自身もその可能性があると思ってる(よね?)けど確かめようのないことであって関係者の見解としては長庚の父親は元和帝である…ということになってる……と思ってるんですが、そもそもそれが読解間違いだったらすいません。でも最後の方で出てくる神女が遺したものの話とか合わせて考えると長庚の母親は神女(姉の方)だったという書き方じゃないかな?と思ってます。
(前置き終わり)
長顧って二人ともそれぞれ実の父親と別に父親(のような存在)がいるんだよな~と思った話です。
長庚には実の父親である元和帝、養父の徐百戸、それから義父の顧昀がいますが、顧昀も実の父親である老候爺の他に元和帝もかなり父親に近い存在ですよね。長庚は実父との間にそこまで何か色々あったというわけではなく(顔を合わせてすぐに逝去したので)、母親からの虐待とかけられた呪いの方がフューチャーされてて、それなりに良い養父であった徐百戸はほとんど登場しないまますぐに死亡しています。
対して顧昀は実父との関係がかなり顧昀自身の生き方や長庚との関わり方に強く影響をしており、番外編はそのあたりの補足という感じでしたよね。
じゃあ長庚は元和帝に対して思うところはないのかというとそういうわけではなく、『(老候爺と長公主が没してから)顧昀に一番近い存在だった元和帝』に対して思うところがあるの面白くないですか?隆安帝が顧昀のこと皇叔って呼んでることにモヤっとしてるのもそれに近い感情なんじゃないかと思ってるんですがどうでしょう?
(元和帝の前の)先帝崩御後に老候爺と長公主が結婚して元和帝即位をバックアップしてるので、元和帝と顧昀の年の差は親子くらい離れてて、でも元和帝の扱いとして顧昀とは年の離れた従兄弟って感じですよね。そして元和帝は傍系とはいえ血は繋がってるので元和帝の子である長庚と長公主の子である顧昀は義親子でありつつ元々やや遠い親戚で、年の差も7~8歳くらい。なので長庚と元和帝/顧昀と老候爺の関係はそこまで綺麗に対比されてるわけではないけど、長庚と顧昀/顧昀と元和帝がわりと近い関係だったするのかなーと思いました。元和帝→顧昀も家族としての親しみだけではない愛憎があったり。顧昀の方はも色々思うところあるけど粛々と受け入れてるっていう印象です。だから温泉別院のあれの時にはよりによって今先帝の話する!?となりました。
それから対比としては長庚と顧昀/顧昀と老候爺もわりとそうじゃないですか?顧昀が長庚に父としてしてきたひとつひとつが老候爺との思い出に直結してるというか、でもその結果顧昀が老候爺のような、あるいは老候爺と正反対の父親になるとかではなく、むしろ顧昀が老候爺から与えられなかったものを長庚から得る……みたいな話になってる気がするのですが……!?(番外のあれ)(白玉笛と風割刃とか)
なので殺破狼、長顧と父親たちの話ではあるんですけどちょっとずつズレのある親子関係の対比になってるのが面白いな~と思いました。
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